なぜ人を殺してはいけないのか考える


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みなさんこんにちは、ねるです。

 

今回は、「なぜ人は人を殺してはいけないのか」ということについて考えていこうと思います。

 

目次

 

はじめに

念のため言っておきますが、別に人を殺そうと思っているわけではありません。純粋に、パッと思いついたときに、納得のいく答えが出なかったので考えてみようと思った次第です。

 

書いてる本人が言うのもなんですが、

「なぜ人は人を殺してはいけないのか」

なんて問いについては考えなくとも当然生きていけます。

 

考えるまでもなく、殺人を犯せば「法の正義」が機能し始めるからです。

裁判官が裁判で「あれ?なんで人は人を殺してはいけないんだろう」などと、いちいち悩んでいたら困りますからね(笑)

 

もし、子どもが素朴な疑問としてこのことについて聞いてきても

「人が人を殺してもいいことになると、みんなが互いに殺し合いをするようになりかねず、そうすると社会がめちゃくちゃになるからだよ。」

などとテキトーに答えておけばOKでしょう。

 

前置きはこれくらいにして、回答を考えていきましょう。

 

 1.殺されたくないから殺してはいけない。

 

「自分がされて嫌なことは他人にしない」的な考え方ですね。この考え方自体もおかしい気がするのですが、まぁ今回は一旦置いといて。

 

この回答は一見正しいように見えますが、殺されたくないという感情と殺したいという感情は両立するんですよね。

むしろ、大切な人が殺されないようにするために、誰かを殺さなくてはならないみたいなことさえ考えられます。

 

 2.法律で人を殺してはいけないことになってるから

 

これもありがちな回答の1つです。1とは違い、人の良心ではなく、法律に答えるパターンですね。

しかし、この答えも厳密には間違っていると思います。

なぜなら、刑法を見ると

第199条(殺人) 

 人を殺した者は,死刑又は無期若しくは五年以上の懲役に処する。

気づきましたか?

法律には「人を殺してはいけない」とは一言も書いていないんですよね。

 

屁理屈のようですが、条文を読み替えると

「死刑又は無期若しくは五年以上の懲役に処せられることと引き換えに、人を殺してもよい」

とも言えると思います。

 

そもそも、この答えを選ぶ人は

「じゃあ、法律がなかったら人は人を殺してもいいの?」

という問いにYESと答えなければなりません。

堂々とYESと答えられる人はそれでいいかもしれませんが、僕はなにか納得いかないのでもう少し考えることにします。

 

 

ここまでで、「なぜ人は人を殺してはいけないのか」という疑問の答えを人の良心や法に求めても、満足のいくものが得られないことが分かりました。

 

そこで、今度は問いを見つめなおして考えることにします。

「答えが見つからないときは、もしかしたら問いが間違っているかもしれない」

と考えるのは、この記事と直接関係はありませんが、大切な考え方の1つです。

 

では、

「なぜ人は人を殺してはいけないのか」

                            ↓

「なぜ人は人を殺してはいけないことにしたのか」

を考えることにします。

 

こうすることで、「時と場合によっては人は人を殺す」という現実を踏まえつつ、あらためてこの問いを考え直すことができますね。

 

3.コミュニティの存続のため

問いの見直しによって生まれた第3の答えがこちらです。

はじめから人々に純粋な良心、倫理があったのではなく、コミュニティの秩序を保つために、人を殺してはいけないことになったという考え方です。

秩序を犯すことにより、コミュニティから追放される不安と、実際に追放されたメンバーの経験が蓄積されたことで、

「人を殺さないこと⇒よいこと」

という共通認識が生まれたのです。

 

このように考えれば、人々が戦争のような場合においては、平気で殺人を犯してしまうことも納得がいきます。

戦争相手は「コミュニティにとっての敵」であるため、殺人を犯してもコミュニティから追放されることがないということです。

 

おわりに

いかがでしたでしょうか?

いくら考えたところで「人殺してもよくね」とはなりませんでしたが、それなりの結果にはなった気がします。

 

コメントやtwitterのDM、質問箱にて、みなさんのアイデアお待ちしてます。

 

最後までお読みいただきありがとうございました☺️